ベトナム法人CTOとしてうまくいったこと

2018年9月から2021年7月までの2年2ヶ月、ベトナム法人のCTOとしてほぼ立ち上げから関わりました。
法人設立前の準備期間も合わせると、2018年6月からの3年です。

もっとこうすればよかった、という反省や後悔であったり、反対に美化した思い出であったり、そんなのばかりできちんと振り返ることができていません。いい機会なので振り返ります。

達成したこと

ベトナムでサービス開発を出来ている

CTOになって5年経った感想、振り返りなど

マネーフォワードCTOの中出さんが、5年経った感想の大項目に載せてくれているこの一文。これが全てです。

拠点人数はIRなどで出していないようなのですが、わたしがはじめに思った以上の成果を出せました。

掘り下げる

Decided, led, and managed an engineering team, a SRE site reliability team, a corporate operation team, an information security team, a product management section team and a management team as a leader, a manager, and CTO Chief Technology Officer.

意思決定する。自ら率いる。サポートする。焚きつける。しりぬぐいをする。
これをいろんな状況で繰り返しました。

はじめのエンジニア採用

自分ならできるんじゃないかという根拠なしの自信はあったものの、正直一番きつかったのがここでした。

時期的にはこの記事のあと。

マネーフォワード初の海外法人、ベトナム法人立ち上げ奮闘記 | 社内の様子

ベトナム法人立ち上げサポートチームが東京からホーチミンシティに集合。
ベトナム現地法人チームがハノイからホーチミンシティに集合。
ホーチミンシティにいたメンバーが待ち受ける。
3拠点からの集合。ホーチミンシティの一週間で最初のエンジニアを採用します。事前に準備はしたものの、最後はわたしにかかっていました。
もちろん事前に意識合わせはしました。”変な人微妙な人を採用するぐらいなら、採用しない意思決定をする。” とはいえ、掛けたコストを考えると、とはいえ。

採用はこちらが候補者を採用すると同時に、候補者がこちらを見定める場でもあります。エンジニアが見るのは最後はCTOです。英語でまともに面接hostするのは初めてでした。でもやるしかないのだ。前日は過緊張でまともに寝られず、えづくのを隠して平静を装っていました。

採用面接、どういうひとがほしいのか、カルチャーフィットをどう見るのか、参加者で議論しながら、自分たちの社員像を作り上げていったのもここでした。現地法人チーム4人には良い試練でした。

リファラル有りの候補者はいたため完全0からではないです。それでもとにかく1週間で3エンジニアの採用を自信を持って決めることが出来ました。

最初の社員のエンゲージメント

CTOといっても、Tが得意なCメンバーってだけなので、全部やる必要があって全部やりました。
日本語社内規定の英語への翻訳、オフィスの掃除、開閉錠、備品の購入、macbookの購入、採用とメンタリング。組織づくり。

ベトナムでは最初の2ヶ月が試用期間。日本の”試用期間”にくらべて、雇用者側も一方的に解雇でき、また被雇用者側も軽く働いて見定めて、結構な割合で見限っていく。そう聞いていました。最初に採用したバックオフィスのプレイングマネージャーに辞められないように、人生相談からここで働くことのメリットからベトナム女性の日のプレゼントから、ドライウェットなりふり構わず一緒に働きたいと思わせる。
こんなことやったことないですね。初めてですね。
仕事?やることやればいいんでしょ派だったので。

彼女は、3年以上会社の中核を担ってくれました。ありがとう。

エンジニアチーム

日本から来たCメンバー3人がエンジニア出身で、それぞれなかなか日本チームから信頼貯金がある状態でした。その信頼貯金を取り崩しながら、ベトナムチームの信頼を高めていきました。それぞれがコードレビューをし、QAをし、障害対応をしながら、ベトナムチームの経験値を高め、ベトナムチームがひとまず安心しても良さそうだ、という状況を作っていきました。

ほかエンジニアメンバーに対しては、メンタリングとともにメッセージを伝え続けました。
メンバーみんなの市場価値を上げる、これが会社の最大のサポートだ、って言い続けました。

また、社内にライトニングトーク文化を作りたくて、まず自分が発表を何度もやりました。社内ライトニングトーク会は一年半ぐらいやり続けました。

しばらくのあいだ、試用期間退職以外の退職者が1人だけ、という期間が続きました。新しい会社だというボーナスは大きいものの、結構効いたようです。

続エンジニア採用

最後のHire or Not 以外の全権限と責任を持ちました。最後も合議。
コード書けない人、git使えない人、を弾きたかったので、GitHub private repositoryでcoding challenge を実施する、これをSRE teamにもmanager候補にも例外なく求めました。
それから書類不備以外のスクリーニングは全部やりました。どうしてもスキルとサラリーのバランスを見て判断したい以上、しばらく他のメンバーに渡すことが出来ませんでした。そして、チェックした履歴書の数が1000枚超えたときには謎の達成感がありました。Job Description もだいたいわたしが書きました。JDをもとに、このポジションを採用するんだ、とアピールしてapprovalを取る。そういう流れでした。

当時、リファラル採用に並んで、圧倒的に量と質が良かったのが ITViec というサイト経由でした。しかも、他の人材紹介会社が、電話を掛けまくったり、SNSにspam postしたりして乱獲する前時代的な環境の中、ある程度ターゲティングでき、しかも成約フィーがなく広告費だけで採用できて、勝手に「慈善事業をやっている人たち」って呼んでいました。

多様性と女性エンジニア

女性エンジニアが働きやすい環境にするためには女性エンジニアが必要です。なので、ごく初期から女性エンジニアの採用について意識しました。

国際女性の日に出ている記事。いい記事ですね。
MFV Respect Day – Những điều từ Dev nữ, đã ai biết? – CÔNG TY TNHH MONEY FORWARD VIỆT NAM

女性に限らず多様性を取り込みたかったです。なお、ベトナム人と日本人以外を採用したい、老人を採用したい、と言っていたのはわたしの居る間には実現しませんでした。

management membersを焚きつけ続ける

はじめの4人がboard memberの時代が長かったです。彼らに、自分に、プレッシャーを掛け続けました。今あなたがしなくてはいけないことはなんですか、それでいいと本当に思っていますか、どういう理由でその優先順位にしてますか、などなど。いやー、よくついてきてくれましたね。結構むき出しできつくて怖かったかと思います。わたしもかなり余裕がありませんでした。

わたしはもともとこぼれ球を拾いに行くタイプなのです。よく言えば周りを見ている、普通に言うと常に気が散っている。やれやれ系。

それが、まずわたしが課題を全部斬り伏せるMatt無双からの、他のメンバーが拾い、そのさらにこぼれたところをわたしが拾う、という謎のスタイルにたどり着きました。しばらくはこれがワークしました。

It’s Accelerator, neither Communicator or Bridge Engineer

これは、あまりわたしの成果ではないかな。彼らをCertified Scrum Masterにする、と強く主張したぐらいでした。

Accelerator – Người gắn kết team Nhật Bản và Việt Nam – CÔNG TY TNHH MONEY FORWARD VIỆT NAM

彼らの成果です。

SREチームの構築

ベトナムにSREチームを作って本番運用する。これがベトナム拠点にとって一つの大きなマイルストーンでした。
いくつか新プロダクトが立ち上がるタイミングで、ここでSREが必要だって言い張り、Job Descriptionを書いてDepOps経験者を採用しました。
東京HQのインフラチームの若者を焚き付けて、ベトナムに1ヶ月出張で来てもらう。
railsエンジニアを焚き付けて、SREにキャリアチェンジしたくなるように仕向ける。

うまく行ったのは結果論ですが、これはタイミングとかいろいろきれいにハマってくれました。

このあたりから、適切なポジションを作り、やってくれそうな人をそこに据え、いなければやりそうな人を作り、チームという箱を作ってあとは任せる、というやり方に自然と行き着きました。それがワークしたのとワークしなかったの、半分ずつぐらいかな。
ワークしなかったものは、自分たちが失敗して学んでほしい、というのがうまく伝わらなかった場合が多いのかな。あとは、頑張りすぎて燃え尽きたケースもありました。そういう燃え尽きたケースは完全にマネジメント側が失敗。ごめんね。

ruby on rails以外も推進する

拠点立ち上げ時、言語はどれでもいいよと言われていたけど、ハノイのオフショアrailsプロジェクトを持ってきた以上railsで始めるしかない。
社内でgolangだったチームからの依頼を必死で引き留め、golangの火を絶やさないようにしました。あと、Ruby on Rails, Golang, JavaScript, Kotlin/Java, Swift/Objective-C 以外に増やさないようにしてました。
Golangも推進していくことになるHQの同じ方針に合わせて、それが後に花開きました。

本番運用できるようになる

前半最後の山場はここでした。本番運用できるように、Information Security teamの立ち上げ。

ITILや内部監査、内部統制の本を付け焼き刃で読むしかなくて読んでいたみたい。泣けますね。

まとまらないまとめ

わたしだったらこうするのにな、って妄想していたのを全部具体化する機会がありました。
やってみて色々学びました。親会社ありきなので、大分差し引きして考える必要は有ります。
それでもトータルで思った以上の成果でした。ですけど、はじめに思ったところには全然届かないところも多かったです。20-30%かなあ。
うまく行かなくて学んだこと、をこれからいくつか書いていきます。
もともと、うまく行かなかったことを書きたかったのでした。そのために、まずうまく行ったことを書かないと始まらなくて書きました。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください